1967年6月 開局
初代小児科部長 草川三治先生 (1967年-1989年)
故・草川三治教授は、平成6年1月14日夜半に降った雪が残る早朝にご逝去されました。
前年8月に同門会員へ送った先生の信条です。
1977年 開局10周年集合写真
1967年(昭和42年)、新装になった東京女子医科大学附属第二病院に草川三治部長が赴任され、石原幸子先生と森川由紀子先生の常勤3名でスタートされました。
わずか3名の医局が10年後には写真のような多くの医局員が入局し、大所帯の医局に発展したことは草川三治先生の人気と石原先生、森川先生の尽力によるものと思われます。
初代の医局長である森川由紀子先生は、1975年(昭和50年)より山崎トヨ先生に引き継がれています。女性医師の多い医局であったことが写真でも分かりますが、結婚や産休の調節に大変であったとのことです。
新生児科、皮膚科、麻酔科などのローテーション制度も確立させ、学術活動も充実し、研究や学会活動も活発になっていました。
1987年
開局20周年集合写真
草川三治教授の人気もあり年間の新入局者は多く、1978年(昭和53年)からは和田恵美子医局長となり、藤田幸子医局長を経て李 慶英医局長へ引き継がれています。
1978年からの10年間は川崎病で全国的にも有名な病院になりました。小児科入院病床も50床を超え、多い時は半数が川崎病症例であった時もありました。外来患者さんも一日200名を超え、予約制ではない時代でもあり朝早くから並ばれていたことが思い出されます。
1989 - 2000 年
第2代小児科部長 村田光範先生
村田光範教授は、内分泌、代謝が専門で、小児の骨年齢の調査を行い、日本人小児の骨年齢アトラスを完成させ、成長曲線の作成にも尽力され、退任された現在も文科省とともに学校保健との連携に第一線で活躍されています。
また、下町に多い肥満児童の生活習慣病にも関心を持たれ多岐にわたり研究と診療を続けておられます。
1997年
開局30周年集合写真
1989年に第2代小児科教授、部長に就任された村田光範教授は、対外的にも学会活動にも精力的に活躍され、更に1994年には9代目病院長に就任され重責を成し遂げられました。医局長は7年間務められた李 慶英先生から1991年より伊藤けい子医局長に交代しました。交代後の1994年1月に草川三治元教授の突然のご逝去により医局総出でご葬儀を執り行いました。
集合写真の1号館玄関前の撮影は、その後の外来棟の改築にて貴重な1枚になりました。
2000 - 2020 年
第3代小児科部長 杉原茂孝先生
1997年の医局30周年の年に入局された杉原茂孝先生は、2000年に第3代教授に就任され、小児科部長となり20年間にわたり当医局を導いて下さいました。
多くの学会会長を務め対外的にも幅広く活躍され、Passion & sympathyは先生のモットーで名実ともに功績を残されました。
2007年
開局40周年集合写真
1998年より伊藤けい子医局長より大谷智子医局長に代わり、2000年より第3代杉原茂孝教授が小児科部長として就任されました。45歳という若さでの就任で、スタッフも大変当時は若かったと思います。
杉原茂孝教授は、村田光範教授と同じ内分泌、代謝疾患を専門とされ、成長ホルモンや甲状腺疾患、小児糖尿病の外来には沢山の患者さんの紹介を頂きました。2006年にはプレイルーム完備の小児病棟の完備や24時間365日の小児救急を担う「小児入院管理料Ⅰ」を取得し小児科収支に大きく貢献しました。
日韓共同開催のサッカーワールドカップが行われた2002年の第20回同門会総会の記念事業として同門会の機関紙である「同門会だより」が創刊されました。毎年、同門会総会でお配りしています。